私の行動は常に

めんどくさい姑のどんよりとした顔も

めんどくさい愚痴も聞きたくなくて

めんどくさい姑の感情を感知して受け取って

行動していました。

でも、当時はそこに全く気づかなかった。

 

だから周りにはいつも

「優しい」と言われ続けていたけれど

今となれば別に優しいわけではなく、

 

ただ、

 

「臆病」だっただけです。

 

自分の感情を大事にして動いてるのではなく

いつも他者の感情の世界にいて、

その感情を引き継いでいただけ。

 

なんて愚かなことをしていたんだろう。

もっと自分を大切にしてきたらよかったと

今、そう思います。

 

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めんどくさい姑が言った「仲間」という言葉の意味

 

最近、めんどくさい姑と対決したあの日。

めんどくさい姑はその時、

 

「仲間だと思っていたのに」

 

そう言ったのです。

 

私はこの言葉を聞いて

本当にゾッとしてしまいました。

 

「家族」

 

という言葉ならまだわかるのですが、

 

「仲間」

 

この言葉にも深い意味があると思います。

 

この言葉は

私には

 

「ロボット」

「操り人形」

 

そんなふうに受け取れました。

 

「一心同体」

 

とも言えるでしょう。

 

結局は私は常に

めんどくさい姑の世界でしか

生きていることができなかった。

 

20年以上も全く気づかなかったのですが、

それほど、わからないほどに

めんどくさい姑の言葉に洗脳されて

めんどくさい姑の感情に翻弄されて

生きてきました。

 

本当にこちらが気をつけなければ

簡単に相手のペースに飲み込まれて、

簡単に

「操り人形」なってしまい

気づかないうちにその沼から

出ることが困難になってしまいます。

 

それほどめんどくさい姑は

人を自分の配下に

置くことが上手なのです。

 

それもわからないようにじわじわと。

 

 

めんどくさい姑の感情をいつも感じ取り、引き受けてしまう理由

 

でも、すべての人が

めんどくさいい姑の感情を

受け取り

引き受けてしまうわけではありません。

 

実際、めんどくさい姑の周りで

うつ病になったのは私だけですし、

 

家族に病気がちな人はいますが、

言いたいことを言ってます。

 

ここが大事なのですが、

どうしてめんどくさい姑の感情を

感知しやすくなってしまったのかというと

それは幼少時、

実母の感情を強く感知して

育ってきたからです。

 

実母はよくピリピリしていました。

そういう時は大体、

表情でわかります。

 

「三つ子の魂百まで」

 

という言葉の通り

小さい頃からそういう

表情を受け取りながら

育ってきてしまったんだと思います。

 

私は、必要以上に

相手の気持ちがわかってしまい、

くみ取ってしまいます。

 

時々、

「エスパーかな」って

思ったこともあります。

冗談ではなく、本当に。

 

だから人と接するのも

疲れたりする。

 

たくさんの感情を感知してしまうから。

 

私の幼少時に作られた思考パターンが

めんどくさい姑の感情を

必要以上に感知して

必要以上に受け取り

めんどくさい姑の感情を

満たしてきてしまいました。

 

めんどくさい姑の

ピリピリした表情も見たくもないし、

くよくよした顔も見たくもないし、

メソメソとした泣き顔も見たくもないし、

ぐちぐちとした言葉も聞きたくもないし、

私も悪者になりたくもなかったから

めんどくさい姑の感情を

満たしてきてしまいました。

 

 

簡単に言えば

 

「いい子ちゃん」

 

でした。

 

 

 

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いい子ちゃんを卒業する方法

 

「いい子ちゃん」をやめるには、

そこから離れなければなりません。

 

物理的に離れることができるのなら

すぐ離れるといいでしょう。

 

でも不可能なこともあります。

私も不可能な状況でした。

 

そういう時は

 

しっかりと境界線を引く必要があります。

 

あなたとめんどくさい人との境界線。

 

私は、めんどくさい姑をがっかりさせることで

境界線を引きました。

 

「私とあなたは一緒ではない」

「あなたはあなた。私は私」

「あなたの感情は私には満たせない」

「あなたが望むことは私が叶えることはできない」

「あなたががっかりした感情はあなたの感情、

私がどうこうすることはできない。

あなたが感じて、処理しなければいけないのです」

 

結局はめんどくさい姑の感情は

とても幼稚で、

その感情は誰でも満たしてくれる

そういう感覚でずっと

生活してきたんだと思います。

 

実際に満たしていたのは

夫だったり、

私の夫(息子)だったり、

そして私もその「仲間」

加わってしまったのです。

 

 

自分の感情を大事に生きていいのです。

 

 

私は今まで

主体が他者9割、

自分1割の世界で

生きてきたと思います。

 

常に自分の喜びや感情は

隅のほうに押しやって

他者を喜ばせようと必死でした。

 

だから余計に自尊心も欠如していました。

 

もっと自分を大事にしていいのです。

特に母親(養育者)との関係性において

子どもは必要以上に頑張ってしまいます。

 

そうやって必死に生きてきたからです。

 

私も母親に振り向いて欲しくて

必死だったのです。

 

だから余計に表情も、

感情もくみ取ってしまう。

 

もう、それはやめたい。

 

残りの人生、

自分9割で生きたい。

 

今、強くそう思います。

 

私の人生は私のものであり、

めんどくさい姑の人生は

めんどくさい姑の人生であって

私のものではない。

 

しっかりと境界線を引かない限り

共依存の関係性は

永遠に続いてしまいます。

 

今、あなたは

自分の感情を大切にしますか?

それとも他者の感情を大切にして

他者の世界の中で生きますか?

 

目標設定して、

自分の望む方向へ進んでください。

 

 

 

 

 

 

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