私は10年間、うつ病の薬を飲んでいました。

 

だいたい5、6種類、

抗うつ薬や安定剤を飲んでいました。

 

どのようにうつの薬を減らし

やめることができたのか

体も心も軽く、楽になったので

経験を語りたいと思います。

 

*あくまでも私のうつの薬のやめ方なので、

体質などが違うため同じ方法で断薬できるとは限りません。

 

*私の独自の体験を語っています。断薬をすすめるわけではありません。

 

*私はうつの薬をやめたことで、体が思うように動くことができ

うつの薬を飲んでいる時の方が、うつ状態がひどく

減薬、断薬したことで、うつの症状が消えていきました。

でも、これは私に限ってなのかもしれません。

減薬、断薬はつらく、何が起きてもおかしくはありません。

自己でしっかり責任を持って取り組んでください。

 

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断薬を決意するまでの経緯

42kg→70kgに太ってしまい痩せたかった

 

私はもともとやせ型タイプでした。

 

私には何か誇れるような資格や

才能などはなく、

でも、そんなに素晴らしいわけではないのですが

 

「痩せてるね」

 

とか、

 

「スタイルがいいね」

 

って言われることが多く

 

そう言われることで

自己肯定感を持つことができました。

それだけしか取り柄がなかったかもしれません。

 

なのでうつの薬を飲み始めてから

どんどん太っていく姿は本当にがっかりで

私は自分自身にも自信が全く持てなくなってしまいました。

 

本当に常に太った姿を見て

 

「死にたい」

 

と、思っていました。

 

とうとう、うつの薬を飲んでから6年ほど経って

70kgになってしまい

真剣に痩せたいと思い、

うつの薬がかなり影響していたことは分かっていたので

減薬を試みました。

 

自己流でプチ減薬開始

 

でも、その時はまだ何の覚悟もなかったので

うつの薬を減らしていくと調子が悪くなり、

 

「私にはやっぱり薬がないとうつが悪化してしまうのか」

 

と、調子が悪くなる理由を

間違ってとらえてしまいました。

 

薬はいつでも作用しているのです。

飲んでも作用し、

やめても作用するのです。

 

それでも、少しずつ少しずつ

飲んだり飲まなかったりの繰り返しで

1種類やめることができました。

 

ジェイゾロフトという薬です。

 

そうしたら10kgほど体重が落ちました。

 

かなり体重が落ち、

しかも、1種類飲まなくてよくなったので

調子に乗って次にテトラミドという薬を

減らしていきました。

 

今度はそんなに調子よくやめることができず

気分が優れず

減らしたり、増やしたり、

一日置きに飲んだり、

やっぱり毎日飲んだりの繰り返しでした。

 

調子が悪くなり、動けなくなるのが

とてもつらかったですね。

 

本当に家族のお荷物で

何も役にも立たない、動けない

ただのデブなのです。

 

そのような状態で

どうしたら自分に自信が持てるのでしょうか。

幸せを感じれるのでしょうか。

絶望しかありませんでした。

 

心の病に薬はいらない

 

少しずつ自己流で減薬していた時、

フェイスブックのアカウントを取り

SNSを始めてみると

精神薬問題を扱っていた

内海聡さんの記事を見つけ

すぐその方の本を購入して読みました。

 

 

心の病に薬はいらない! [ 内海聡 ]

精神科は今日も、やりたい放題 医者が教える、過激ながらも大切な話 (PHP文庫) [ 内海 聡 ]

大笑い!精神医学【電子書籍】[ 内海聡;めんどぅーさ ]

 

この3冊の本、全て読み終わる前に

 

「もう、うつの薬をやめたい、やめよう!」

 

と心に決めました。

 

減薬、断薬を取り組む時にやったこと

家族にうつ病の薬をやめたいと伝えた

 

私は家族と一緒に住んでいたので

減薬、断薬する時の心細さはあまりなかったのですが

その代わり必ず迷惑をかけると思ったので

完全にうつの薬をやめたい、

動けなくなるかもしれないから

家事、仕事ができないことを理解してもらいました。

 

薬の減断薬は何が起きるか分かりません。

薬の添付文書に書かれてあるように

突然暴れたり、

自殺行為に及んだり、

薬というものを甘く見てはいけません。

 

実際、減断薬中の犯罪もあるそうで、

調べれば新聞、ニュースでも

取り上げられています。

 

こういうことが起きる可能性は十分あるということを

当事者も知る必要はあるのですが

家族にもしっかり知っておいて欲しいと私は思い

情報共有しました。

(私の場合は全面的に家族がサポートしてくれたので

情報共有できましたが、減断薬を反対する家族には

また違った対応が必要なのかもしれません。)

 

 

飲んでいる薬の添付文書の内容を確認する

 

10年間、私は自分の飲んでいる

うつの薬の添付文書を

一度も見たことがありませんでした。

いつも薬と一緒にもらうものではなく

もっと詳しい情報が書かれています。

 

この添付文書を初めて見たとき

 

「なぜ、医者はこういう情報を開示してくれないんだろう」

 

と、思いました。

 

「これだけ危険な薬なので、よく考えて飲んでください」

 

など、少しでも危険性の高い薬であることが分かっていたら

もう少し薬に頼らず代替療法を探したかもしれません。

 

 

内海聡さんの本を教科書として、減薬・断薬に取り入れた

 

特に、

 

「心の病に薬はいらない」

 

という本は、

減薬、断薬の対応法が詳しく書かれているので

とても役に立ち、

手引書として参考にさせていただきました。

 

自分の飲んでいる薬が比較的抜きやすい薬か、

抜きにくい薬か知ることもできましたし、

(内海さんの、独断と経験に基づくものです)

実際に特定の薬の減薬の仕方も書かれてあったので

とても参考になりました。

 

そして、比較的抜きやすい薬から減薬、断薬していきました。

 

私の場合、最後に飲んでいた抗うつ薬は

サインバルタとテトラミドで、

比較的抜きやすいテトラミドから減らしていき、

最後に非常に抜きにくい部類にあった

サインバルタを減断薬し、

そのあとに抗てんかん薬のリボトリールを

減断薬していきました。

 

世界・社会構造を知る

 

結局は私は精神医療とはどんなものか

全く知らなかったし、

うつ病をはじめ、

精神疾患のある多くの人々を

救ってくれる医療と思っていました。

 

その考えが間違いでした。

 

一言で言えば詐欺に引っかかった。

 

そう言えます。

 

でも、自分で精神医療なり、

うつの薬なり、

調べることも十分できたのです。

 

それを怠り

全て他人任せにしてしまった

自分が悪いのです。

 

本当に愚かでアホでした。

 

医師との決別

 

 

突然のうつの薬の減薬に取りかかってしまったので、

別に行かなくてもよかったのですが、

予約が入っていたので

いつものメンタルクリニックに行きました。

 

医師には一言も減薬、断薬の意思表示はしませんでした。

もう全く信頼していなかったからです。

 

むしろずっと信頼していなかったと思います。

 

いつも1分診療だったので

この先生は私のうつ病を治してはくれないと

悟っていたと思います。

 

でも、しっかり通院していたのはなんでなんだろう。

ずっとうつ病でいなくては

私は存在できないからだったかもしれません。

 

うつ病が治ってしまったら

家族に甘えられなくなるし、

めんどくさい姑からのめんどくさい注文を

また聞かなくてはいけません。

 

めんどくさい姑を悪者にして

うつ病でいたかったのかもしれません。

考えれば色々な潜在意識が出てくると思います。

 

でも、全く信頼していなくてよかったです。

もし、減薬、断薬の相談をしていたら

こんなにすんなり取りかかることが

できなかったかもしれません。

 

この先生に治してもらいたいと

そんな欲も出たかもしれません。

 

なので信頼度0%で本当によかったです。

 

最後の予約の日以降、

10年間通院していたクリニックには

2度と行くことはありませんでした。

 

 

 

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減薬・断薬を開始してからの症状と対処法

 

ほんといろいろな症状が出ました。

 

減薬、断薬を始める前から

イライラはとても強かったのですが

ますますイライラが強くなりました。

 

冬なのに寝汗は出るし、

音がとても気になってノイローゼになりそうなくらい

とっても不快でした。

匂いもかなり敏感になり、気持ちが悪かったです。

 

胃の痛み、胃もたれ、頭痛、吐き気、胸の痛み、

呼吸が上手くできず、

スプレータイプの酸素ボンベも買ってきてもらい

少しは楽になりました。

 

耳鳴り、こわばり、肩のこり、光がとても眩しく、

動悸もあり、脈も飛ぶ感じで不快でした。

 

食欲も落ち、消化力も落ち、

減薬でかなり体重が減りました。

 

私の場合まだ飲んでいた薬が少なかったので

症状も軽い方だったと思いますが、

それでも、やっぱりつらかったです。

何度も何度もつらく泣けてきました。

泣きました。

 

それでも、

 

「もううつ病で寝ているだけの人生は嫌だ!」

 

と思っていたので、

つらい症状、

禁断症状も乗り越えることができました。

 

後戻りはもうしたくなかったので

途中で薬が増えることは一度もありませんでした。

 

そしてつらい症状が出てきた時は

なるべくその症状を感じてしまうのではなく、

自分の好きな香りをかいだり、

音楽が聴ける状態であれば音楽を聴くとか

なんか気になる動画を見るとか

どこか体をつねってみるとか、

意識を別の方へ飛ばすようにしていました。

 

でも、これ、結構、難しいんですけどね。

 

 

私が、減薬・断薬する上で、これは大事!と思えたこと

 

精神医学の目的は「殺人」だという認識を持つ

 

これはあくまでも私が精神医療世界に10年間いて、

その世界から出た時に

精神医療の世界を見て思った感覚です。

 

私は、抗うつ薬を処方されてから日に日に

自殺願望が強くなり、

いつも死ぬことばかり考えていました。

 

そして、実行しました。

 

ほとんど意識のない状態で助けを呼んでしまい

今、こうして生きていますが

見つかっていなければ死んでいました。

 

救急車で運ばれた時は

もう意識レベルがかなり低かったからです。

もう真剣に死のうと思っていたので

当たり前の状態でした。

 

でも、あの時死んでいなくてよかった。

 

やっと、最近そう思えるようになりました。

 

まだまだ私にはやりたい事もあるし

夢や希望があります。

 

そして10年間、薬を飲み続けて

うつ病が何の改善もなく

常に死に向って歩んでいたのです。

 

 

いつ死んでもおかしくない

いつも私の隣には「死」がありました。

 

 

こういう経験を振り返ると

 

「精神医学とは一体なんだろう」

 

と考えてしまいます。

 

そして精神医学とは人々を奴隷化し、

虐待、拘束、差別し、

癒しを受けたり、

精神がよくなったり、

問題が解決するでもなく、

何も考えれないように

「廃人化」していく医学だと感じました。

 

まだ、精神医療がなかった時代の日本のほうが

健康な人々が多く、

異常行動をする人も少なかったと思います。

特別支援学級とか

差別するようなクラスがあったでしょうか。

 

精神疾患名は何の役にも立たない

 

 

私の場合、うつ病と診断された時は

ただ多くの症状があっただけで

精神の何かが悪かったわけではありません。

 

うつ病と診断され、薬を処方されてから

異常行動が増えていき

薬で悪くなったのは明確でした。

 

そして月日が経ち、気分に波が出てきて

躁うつ病と診断されました。

 

うつ病、躁うつ病と診断され、

その疾患名に自分をはめようとしていたと思います。

 

でも、そもそも何か問題が起きれば

眠れなくもなるし、

食欲も落ちるし、

不安にもなるし、

気分の波だってあるし、

人にも会いたくもなくなるし、

当たり前の症状が出てくるんです。

 

その症状に病名、疾患名をつけ

何の意味があるのでしょうか?

 

病名をもらってホッとしただけです。

ただそれだけです。

 

こんな病名があるから

「優しくしてね」

ってアピールしたかっただけです。

そっとしておいてって病名で訴えただけです。

 

病名をもらって幸せにもなれないし

健康にもなれません。

ますます泥沼にはまるだけです。

 

そこに気づけなかった。

愚かだった。

10年経ってやっと気づけました。

 

被害者意識を捨てる

 

自分がうつ病になったのは

 

「めんどくさい姑のせいだ!」

 

ずっと心の奥底で思っていました。

そして、そんなめんどくさい姑に

 

「しっかりと立ち向かってくれない夫のせいだ!」

 

と思っていました。

 

みんな好き勝手言って

めんどくさい姑は外面がよく、

でも家の中の顔はほんと怖かった。

 

全然、外で見せる顔と

家の中で見せる顔も声も違うし、

言ってることは筋が通ってないし、

理不尽なことばかり言うし、

言ってることと、やってることが違うし、

「こういう人間が一番嫌いだ!」って

常に思っていました。

 

全く尊敬できないから、

好きにもなれない。

好きになる要素がない。

 

こんな考えなので

ずっと被害者意識だけが育っていきました。

 

でも、被害者ではなかった。

 

私が、甘えたくて鬱になり

動きたくなくて鬱になり

病名をもらって安心し、

全部、自分が選んできた道なのです。

 

自分は被害者ではなく

加害者なのだと気づいた時

やっと減薬、断薬の道が開かれたのです。

 

一歩を踏み出せたのです。

 

アイデンティティの確立

 

私には自分の意思というものが全くありませんでした。

 

いつも人の意見に同調し、流される

あたかも被害者のように

 

「あの人がそう言うからしょうがなく」

 

そんな言葉が心の中でぐるぐるとしていました。

でも、それはただ

 

「自分がなかった」

 

それだけです。

 

そして、自分のキャラというものを

すっかり封印してしまいました。

 

いつも人に合わせた生活だったので

自ら自分という存在を消していってしまいました。

 

きっとそれは責任逃れだったと思います。

 

自分の意見を言わないことで

非難されたり、

いじめられたり、

争いになったり、

そういう「めんどくさい」ことから逃れていただけです。

 

言葉を発しないことで楽を手に入れていました。

 

今は自分のキャラが分かってきて

素直に表現できていると思います。

 

小さい頃は素直に自分を表現できていたのに

周りの目を気にしたり、

気に入られようとして

自分を消してきてしまいました。

 

本当の自分を見つけられたら

そのキャラから脱線しないように

表現してください。

 

あなたはあなたです。

 

誰の所有物でもない。

 

自分の思う通りに生きれば

うつ病になる必要がありません。

 

因果関係を考える

 

原因があるから結果がある。

 

うつ病もまさにその通りです。

 

うつ病だけではなく何でもそうです。

病気でも、現象でも何でもそうです。

 

私もまさにうつ病になる原因がありました。

 

結婚してから病んでいったのは一目瞭然です。

嫁ぎ先にうつ病になるきっかけがありました。

めんどくさい姑からの注文が多すぎて

いい子ちゃんをしすぎて

病んでいったのです。

 

「NO]

 

が一言も言えませんでした。

 

その一言が素直に言えたら

うつ病にはならなかったと思います。

 

「私はこういう考えだからあなたの考えとは違います。

あなたの言うことは受け入れられません」

 

そう言えばよかったのに

私にはこの家にしか、いる場所がなかったので

争わず、全て受け入れてしまったのです。

 

そして、そういう思考パターンは

幼少の頃に身につけた思いぐせです。

 

忙しい母に何とか気にしてもらおう、

気に入られようとして、

振り向いて欲しくて

いい子ちゃんになっていました。

 

そして、気のきくしっかり者として成長し、

その思考パターンを持って嫁いでしまったのです。

 

原因はそこにあったのです。

 

うつ病をはじめ、多くの病気と向き合うときは

自分の幼少時の頃、どんな環境だったのか、

どんな思考パターンがついたのか、

よく考えなければいけません。

 

そして、うつ病になった時、

どんなきっかけで体調が悪くなっていったのか、

嫁姑問題なのか

借金なのか

夫婦問題なのか

子どものことなのか

両親のことなのか

職場の同僚なのか

友人なのか

今ある問題に向き合わない限り

薬では解決しないのです。

 

私も今さらですが

何で目の前にある嫁姑問題という

大きな問題があったのに

薬で解決しようとしてしまったのか

ただただアホだったなと

その一言につきます。

 

 

 

私の減薬・断薬時の処方されていた薬と、薬の減断薬の仕方

 

私が減薬、断薬に取り組んだ時の最後の薬の処方は

 

サインバルタ(抗うつ薬)20mg 2C

ジェイゾロフト(抗うつ薬)25mg 1錠

テトラミド(抗うつ薬)30mg

リボトリール(抗てんかん薬、ベンゾジアゼピン系)1mg 1錠

ユーパン(抗不安薬、ベンゾジアゼピン系)0.5mg 1錠

デパス(抗不安薬、ベンゾジアゼピン系)0.5mg 1錠 頓服

ツムラ抑肝散加陳皮半夏(ツムラヨクカンサンカチンピハンゲ)NO.83 頓服

 

2013年、4月

まずプチ断薬でジェイゾロフトを1日おきにしてみました。

あまり覚えていませんが

かなりイライラしているのが日記から分かります。

それでも何とか動けていました。

 

5月

ジェイゾロフト を完全断薬できました。

 

6月

テトラミドを30mg→10mgにしました。

2週間後、無しになりました。

でも、調子が悪く

 

8月

テトラミド10mgをまた毎日飲みだします。

しばらくその状態が続きました。

年が明け

 

2014年、2月

断薬の決意をして、真剣に取り組みだしました。

まずはテトラミド10mgを断薬。

 

2週間後

サインバルタ20mgを2C→1C

リボトリール1mgを1日おき

 

1週間後

サインバルタ20mgをカプセルを開けて4分の3にして

カプセルに戻して飲みました。

リボトリールは0.5mgを毎日にしました。

 

1週間後

サインバルタ20mgを2分の1に

 

1週間後

サインバルタ20mgを4分の1に

 

4日後

サインバルタを6分の1に

 

1週間後

サインバルタを8分の1に

この時点でかなり体もつらく

動くことがつらかったので

少しずつ少しずつ減らしていきました。

でも、今思うと

8分の1まで減らしたので

もうちびちび減らす必要はなかったと思います。

 

4月の頭にはサインバルタは断薬でき

あとはリボトリールだけが残りました。

かなり体に負担があったのでサインバルタの断薬から

3週間後、リボトリール0.25mgにしました。

 

4月の終わり頃

リボトリール完全断薬でき

全ての薬を完全断薬できました。

 

 

補足

 

長い年数飲んでいたパキシルは、

自殺念慮が強く

イライラも強く

自殺企図、未遂した時に

レメロン、テトラミドに置換して

やめることができました。

でも、結局は薬からは逃れられていなかったんですけどね。

それでも、かなり癖のある薬なので

置換してやめることも

1つの手段なのかなと感じました。

 

 

ベンゾジアゼピン系の薬は

色々な種類を常に飲んでいました。

メイラックス、ソラナックス、デパス、

リボトリール、ワイパックス。

少し調子が悪いと飲んで、

飲んだということで

気持ち的に楽になり依存していく。

でも、症状は全く改善されませんでした。

むしろ悪くなって、ますます薬を求めてしまう。

その依存性からベンゾ系は

覚せい剤に1番近いと言えるのかもしれません。

そして、自我が弱いと抜くことへの不安、

飲んでいるから動けている、

仕事ができていると思い、

薬を手放すことが難しいかもしれません。

私の感覚では、飲めば飲むほど

不安や恐怖は強まりました。

 

 

 

私が伝えたいこと

 

結局はいつもいつも何も考えず

なんの意思もなかったので

すぐ、周りの意見に流されていました。

 

沢山の症状が出ていた時、

生活習慣の見直しや、

そもそも目の前に沢山の問題があったので

それらをまず解決し

それでもまだ症状が出るのであれば

簡単に症状を緩和できる方法ではなく

根本から解決できる方法を見つける。

そういう考えで取り組めば

泥沼の人生ではなかったと思います。

 

 

安易に薬に飛びついた私が全て愚かでした。

簡単に解決させようとした私が愚かでした。

 

 

薬は根本解決しないということを

知って欲しいです。

全くそんな事も考えず飲んでいました。

 

そして、1番伝えたいことは

薬をやめたからと言って

何にも解決していないということです。

 

私は断薬してからもずっと、

過去を引きずって生活していました。

めんどくさい姑の過去の出来事を

持ちながら生きていました。

まだめんどくさい姑との関係性が

解決していなかったのです。

許せていなかったのです。

めんどくさい姑のあの出来事さえなければ

こんなつらい状況にはならなかったと

被害者のままでした。

 

でも、その被害者意識は間違いでした。

 

そもそも、私が幼少に親から受け取り

育ててきてしまった思考パターン

思いぐせが原因だったからです。

 

私が作ってきた世界だったのです。

 

 

全てです。

 

 

常に原因は私の中にあったのです。

 

なので、断薬前でも、断薬後でもいいので

今ある問題ではなく

自分がどのような環境で育ち

どんなものを養育者から受け取り、

自分はどんな人間だったのか

知るようにするのは、

これから穏やかに生きていくには必須だと思います。

 

自分でとことん探求できますし、

カウンセリングなど利用して

他者からサポートしてもらうのもよいと思います。

様々な方法があると思います。

 

私は

 

カウンセリング、

キネシオロジー、

RAS、

西洋占星術、

 

など利用して、

 

自分とは一体どういう人間で

どんな思考パターンで

どんなことに蓋をしてきてしまったのか、

どこで元々の自分の性質、

性格を変えてきてしまったのか

わかりました。

 

わかったので、

もう自分を偽らず

生きていこうと思いました。

 

そして、そのように目標を立てたので

めんどくさい姑にも立ち向かうことができました。

 

もう、残りの人生は人に合わせるだけの人生ではなく

自分の意見を大事にすると決めたのです。

 

そのように固い決意を持てたのは

自分を内観できたからです。

 

ただ、薬を断薬したからといって

その域に達したわけではありません。

 

そして、いつも、すぐに答えを誰かに聞くのではなく

まず、自分の頭で考え、自分なりの答えを出す。

 

そういうスタンスを持っていれば

薬に依存することはないでしょう。

何に対してもそんなに強い依存はなくなると思います。

 

考えに考えてわからない時は

質問する、

そうすると答える側も

真剣に考え、

共に考えてくれると思います。

 

私の断薬経験はまだまだ軽いもので

どこにでもある経験だと思います。

もっと大変な断薬を経験されている方は

山のようにいます。

 

どうか、もう、そのような人が増えないことを

祈るばかりです。

 

この日本には断薬に特化した施設はありません。

薬をいただく側がしっかりと薬の知識を持っていなければ

薬をやめたい時に

誰も助けてはくれません。

 

そういう国に私たちはいるということを

知っておいてください。

 

そしてこれ以上、薬害で苦しむ方が増えませんように。

 

 

 

 

 

 

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