嫁ぎ先の家の中の問題(嫁いでからドロドロした家庭だと気づきました)や、
私がうつ病になってしまったきっかけ(原因ではなくて)の1つは、
親(母親)が子(息子)を手放さず子を支配し、
子はそれが当たり前で全く支配されていることにも気づかなかった
ここだったと思います。
もくじ
姑を喜ばせる事が第一
私はそんな夫を
「優しい人なんだ」
「大切に育てられたから母親を大事にするんだ」と、
ずっと良いイメージで見ていて、
だから姑からの色々なご注文にも
「夫が大切にしている人だから私も大切にしなければ」と、
同じ価値観を持って接してきてしまいました。
結局私も、
夫と同じようにオートマチックに姑を喜ばせようとあれこれ行動してしまい
自己犠牲を払ってでも喜ばせるような行動をしてきた為に
自分の思いは二の次になってしまい
結果、姑の支配下に居ることを選び
この考え方があまり良くなかったと
もっと早くここに気づけばよかったと思いました。
マザコンみたい
「優しいけどなんかマザコンみたい」ってずっと思っていたんです。
でもいわゆるマザコンの部類
(ママ〜ママ〜これやって〜とか、甘える息子)
に入るようなタイプではなく、
母親を喜ばす為に何にでもなって、
何でも自己犠牲を払う隠れマザコンでした。
だから本人に「◯◯くん、マザコンだね」って言ってもピンとこなくて、
「そうかなぁ」ってあまり自覚はありませんでした。
そして、姑も自分の夫に頼みごとをすればいいのに、
息子の方が頼りになると分かっていたのか、
何でも息子に解決を求めてくる日々。
それを見て私は、
「早く子離れしてくれ」と思っていました。
親は子どもが成長する上ではとても重要な手引者であり、
大事な存在なのですが、
もう大人になれば手引きなど必要ないんです。
一定の距離感が大事だと思います。
そして子どもは親の所有物ではないんです。
「自分の思うように動いてもらわないと困る」とか、
「自分を喜ばせる為の存在なのだ」
という価値観を、
親は捨てたほうがいいと私は思います。
まさに姑はこういう人物であり、
子どもである夫もまた同じような価値観を受け継ぎました。
そして、夫は自分の子どもにも同じ価値観を押し付けていました。
まさに永遠に続く呪縛です。
でも、私がうつをやめたことや、
その後にカウンセリグなど受けて私の意識が変わったこと、
そして私たちの子どもが突然居なくなってしまった事がきっかけで、
夫は「何で子どもは居なくなってしまったのか」
「自分は何でこんなにも仕事に支配されているのか」
と色々な事を考え始めました。
親からの支配
そして、
そもそも生まれてからずっと親に支配されている
という事に気づきました。
家が自営だったので、
いわゆる後継ぎとしてずっと後を継ぐ存在であると言うことを
小さい頃から言われていたそうです。
他にも理由はあるのですが、何にしろ母親を喜ばす為の長男だった訳です。
親からの支配は強い洗脳なので、母親を喜ばしていないと存在価値が持てないと取ってしまいます。
そして、ずっと喜ばす為に過酷な自営
(年中無休で夜も12時、日付が変わって終わるなんて当たり前の仕事でした)も
何の文句も言わず、やりこなしていました。
そんな夫を見て私も
「やっぱり優しい人」
「この人はあまり文句を(特に母親には)言わない人」
「忍耐強い人」なんて思っていましたが、
今、色々と見えてきて分かってくると、
「ただただへその緒が切れていないだけだよね」
「早くへその緒を切ろうよ」って思います。
母親も子も互いに手を離す時が遅かったんだと思います。
(私たち子どもはその点では賢いのか、共依存にならないようにサクッと手放すことができてよかったと思います。家を出るというのはかなりの覚悟と勇気がいったと思いますが…)
共依存からの脱出
共依存ですね。
きっと互いの存在があって何かを乗り越えてきたから依存が強かったんだと思います。
気づいた側がもう手放したいと思えばそれを手放せばいいだけです。
そうしたら母親ももう何ともならないのかと諦めがつくと思います。
共依存の手放し方は私は詳しくは分かりませんが、
気づいたら自分はどうしたいか考えればいいんだと思います。
気づいた側の人のその気持ちを大切にして欲しいと思います。
色々な葛藤があると思います。
手放すのは辛いかもしれません。
でも自分はどうしたいか?
その気持ちを大切に、
そしてその気持ちに素直になって行動すれば母親の人生ではなく、
自分の人生を生きれると思います。