テレビっ子だった私が

見ていたドラマはたくさんあって、

学校から何かを学ぶというより

テレビから多くのことを学んでしまった。

(あまりよろしくない傾向なんですけどね)

 

その中の1つに

昭和58年から放送のNHK連続ドラマおしんという、

最高視聴率62.9%、

平均視聴率52.6%と、

国民の半数以上が視聴し、

平成の映画版では

上戸彩さんが出演したことでも話題となった、

海外でも高評価のドラマがありました。

 

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あらすじとしては、

幼い頃から口減らしの為、

奉公に出され、

さまざまな不当な扱い、

いじめを受け、

嫁ぎ先でも姑からいじめを受け、

残念な旦那の行動にも耐え、

苦労の絶えない、

貧しい中で何がいかに大事なのかと

問いかけるようなドラマであった。

 

こういうドラマを見てしまったが為に、

私の中で余計に忍耐が美化されて、

 

「耐えることはとても素晴らしいことだ」

 

と認識し、

学びとってしまった。

 

本当に忍耐って美しいのか?

 

 

今となっては美しくもないし、

 

「それって自分を生きれてないよね」

 

って思います。

 

タイムマシーンがあったら

以前の自分に言いに行きたい!

 

まぁ、その時は

それがベストだと思っていたのだから

何を言っても

無駄なのかもしれないんだけどね。

 

私もおしんほどではないですが、

忍耐の連続でした。

 

それを選択したのは

自分なのでしょうがないんですけどね。

 

嫁いで直ぐのこと。

 

衝撃的な出来事がありました。

 

我が家の姑、

舅は休日になると旅行に行くのが趣味だったのですが、

長い時は1週間とか出かけるわけです。

 

(出かけている時はほんと心が休まりました)

 

もちろん荷物てんこ盛りなわけです。

 

そして帰宅日。
車が止まるなり呼び出されました。

荷物を家に運ぶのを手伝えという指令が出ました。

 

『手伝うのが当たり前でしょ』

 

実家では母子家庭で

母は年中無休で働いていたので、

家族が旅行に出かけるとかもなく、

当たり前と言われたら

世間では当たり前なのかと思い、

 

「じゃあ、手伝うしかないのか」

 

と嫌々ながら嫁いだばかりで波風も立てたくないし、

仲良く暮らしたいと

ただそれだけを目標に

言われるがままに行動していました。

 

いやいや、

遊びに行っていたのだから

逆に家を守っていた私を労っておくれと

思いましたけどね。

 

そんな想いは届かず・・・

 

あまり心からの感謝は伝わってきませんでした。

 

 

嫁とはそんなもんです。

 

 

平成版おしんの世界だなって常々思っていました。

まだまだおしんの領域には達しないんですけどね。

 

靴下の中に◯◯が!

 

姑からのお使いごとで、

姑の叔母に時々物資を運んでいたのですが、

またその叔母の人相が怖い!

いかにもという殺気を感じるほどでしたが、

ある時何やらプレゼントをいただきました。

 

「やっぱりいい人だよね、顔だけ怖いだけだったんだよね」

と喜んでプレゼントの中身をゴソゴソいじると・・・

 

 

なんといただいた靴下の中に縫い針が入ってました!

 

 

いや〜これは意図的ですよね〜

もう笑うしかなかった。

 

まぁおしんと比べれば序の口序の口。

 

嫁いで1,2年でこんな経験をさせて

貰えるとは夢にも思いませんでした。

 

姑の笑顔はとても素敵なんですけどね、

やっぱり人は笑顔の裏に

いろんなものが隠れています。

(私の笑顔の裏にも隠れています。笑)

 

怖い顔の姑の叔母の裏は表と同じで、

私は来てはいけない領域に来てしまったと、

当時は全く気づきもしませんでした。

 

 

自分で自分を不幸にする呪い

 

 

「あのおしんと比べれば私はまだまだ幸せ」

「他の家庭でも同じようなことが繰り広げられている」

 

と、他の人と比べて自分はまだ幸せなんだ、

 

家もあるし、

子どももいるし、

トイレだってお風呂だってある。

水も簡単に飲めるし、

 

食べるものにも苦労はしていない。

 

そんな普通レベルの暮らしと

おしんの世界を比べて、

 

『なんて私は幸せなんだ』

 

と自分にささやいていたんです。

 

 

自分で、

『あなたは十分幸せなんだよ、

それ以上望んだらばちが当たる、わがままを言わない』

と洗脳していたんです。

 

自分でどんどん追い込んで追い込んで病んでいき、

体調不良で症状が日に日に増えていき、

 

「もう自分を生きれてないことに気づきなさいよ」

 

と体が教えてくれていたのに、

そんな体からのメッセージにも知らんぷりで、

とうとうメンタルクリニックに行って病名をもらって、

お薬ももらって、

飲んでしまいました。

 

ただただ休みたかったんです。

 

病名をもらって、

「もう病気で動けません」

ってアピールすることで

姑から距離を取ることができました。

 

でも、早く自分の感じたこと

素直に口で言えばよかった。

「もうあなたの言うことに全てイエスとは言えません」

「私にだって選択権はあってロボットじゃないんだから、

できない事だってあります」と。

 

 

言えなかったから病気を使って、

 

「もうあなたの言うことに答えられません」

 

って体で訴えたんです。

 

もし、うつ病や精神的な不調を抱えているのなら、

 

何か言えていないことはないか、
誰かの言いなりになっていないか、
自分の思うように生きれているか、
何かに我慢しずぎていないか、

 

と、頭の中でよく考えて、

紙に書いて文字化したら尚のことよいでしょう。

 

もし、何か溜め込んでいたものが見つかれば、自分の思いに素直になる、ただそれだけです。

 

私はやっと嫁いで24年経って姑に本音を言えました。

 

ただ怒りをぶつける言い方ではなく、相手が納得のいく伝え方をしたつもりです。

 

長い長い道のりでした。

 

少し(かなり!?)家の空気が重いですが、

言えたこと、

自分の思うように今、

生きれていることが幸せです。

 

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